修士号

今日ついに修士学位記を授与されました。
本当は23日が学位授与式だったんですが、所用のため行けず今日になりました。

入学後、すぐ交通事故に遭い、体調不良やけがで思うような研究生活が送れず、また義歯のせいでフランス語があまり話せなくて、鬱々とした思いを常に持っていた1年目。留学を控え不安だった2年目の前期。ストラスブールで楽しい留学生活を送ることができ、自分自身のものの考え方や見方がドラスティックに変わった2年目の後期と3年目の前期。修士論文を仕上げるために人生において一番必死に勉強した3年目の後期。

このような紆余曲折を経て、修士課程を修了するのですが、学部を卒業したときほどの感慨深さというのは感じられないし、喜びに浸ることもできないというのが正直な気持ちです。むしろ、これから博士課程という長く厳しい道を前に、断固たる決意をもち、厳しく自分自身を律していきながら、研究に真摯な姿勢でとりくんでいきたいという気持ちの方が強いです。

学部を卒業する際、恩師からいただいた「卒業とは、一つの(、)点《virgule》です」というはなむけの言葉は、今でも僕の頭の中に残っているのですが、修士課程を修了するというのは、人生という道のりにおいても、また研究者を目指す道のりにおいても、本当に一つの通過点であって、これを一つの足がかりというか、滑走路にして、はばたきたいと思います。
昨今の学術機関への就職は非常に難しく、また自分の将来を考えた際、時に絶望的になったり悲観的になることも多々ありますが、とにかく目の前の課題をこなしつつ、「自分は今、何をなすべきなのか」と問いかけながら進んでいきたいです。

そして、幾つになっても親のすねをかじりながら生活しているパラサイト的息子(孫)を、経済的援助のみならず精神的な援助をも与えてくれる父・母、そして二人の祖母、常に実家に帰ってきては、弟にやいやい言ってくる姉二人と、そんな姉たちを貰ってくれた義兄二人。そして何よりもフランス語を学ぶ楽しさを教えていただき、フランス思想という魅力的な世界にいざなっていただいた関西学院大学Y先生。時には厳しく、しかしながらその厳しさの中には優しさが常にあり、的確な指導や助言を与えてくださる京都大学T先生。そして自分を取り巻くすべての人のおかげで今の自分はあるのであって、彼らへの感謝の気持ちを忘れず、努力していきたいと思います。



久しぶりに文章書いたからつながりがおかしいところもあるかと思いますが、最後まで駄文を読んでいただいてありがとうございました。